2011年4月20日水曜日

現実世界

さて、今回は普段はあまり書かない、私の考え方を記しておきましょう。

現実世界は、日常生活をしている範囲だけでも、フロンティア、つまり、未知の領域と隣り合わせであると考えています。

現実世界は、当たり前のことに疑問を持つことで、未知の世界に迷い込んでしまう可能性を持つ不思議の国であると考えています。

身の回りで起こるごく当たり前の現象に、少し疑問を持てば、その答えを見つけるために調べたり研究したりします。そうしているうちに、専門的な領域に足を踏み入れてしまい、やがて、まだ専門家でさえも知らないようなことを調べることになることだってあります。

現実世界を一つの街に例えて話をしましょう。

この町は、おおよそ開発が進み、大通りや住宅街、オフィス街ができ、高層ビルが立ち並んでいます。しかし、裏山やどこにつながるかわからない路地、さらには、まだ誰も入ったことのない洞窟などがいたるところにあります。子供たちは、もしこれらの未知の領域に気づいていれば、おそらくこう思うでしょう。

「ちょっと入ってみたいな」

しかし、これらの領域は、普段生活している領域からは、誰も気づかないような細い路地からしかアクセスできません。だから、誰も気に留めるどころか、存在自体機気づくことなく、ただ日々を送っています。

この「未知の領域への路地」についても、この町には無数にあり、どこからでもこの領域にアクセスすることは可能です。が、誰一人として、この道が未知の領域に続いているとは思わないので、誰も通ろうとは思わないのです。

ところが、誰かが、「この道はどこにつながっているのだろう?」と思えば、当然その道に足を踏み入れます。行きついた先は、まるで見たこともないような草むらであったり、洞窟の入り口であったりします。

 

この話では、「路地の存在に気づく」ところが、身の回りの現象に疑問を持つことであり、「路地に足を踏み入れる」ところが、調べたり研究したりすること、そして、行き着いた草むらや洞窟は、専門的領域、誰も知らない領域です。

 

こうやって考えてみると、退屈に思える現実世界には、未開拓地がたくさんあると思いませんか?

私が思うに、現実世界に本当に退屈するのは、すべてを知り尽くしてしまった人間にしかできないと思います。

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